太子町の誇り 聖徳太子 辻井 博子

今年の冬は格別の寒さです。

今、外は雪が音もなく降り続いています。昨日は当シティーアカデミーの皆さんと一緒に日本最古の官道と言われる竹内街道を歩いたのですが、今日のこの雪を予感させるような寒さでした。私が住んでいる太子町は、近つ飛鳥又は河内飛鳥と呼ばれ、大陸からの文化や技術が伝えられた、難波から奈良の飛鳥へと続く大道(竹内街道)の通過地点でもありました。太子町という地名も古墳時代から飛鳥時代にかけて活躍した聖徳太子の御廟がある所から来ています。そして今も昔と変わらず聖徳太子と太子の母である穴穂部間人皇后、妃の膳郎女の三人が一緒に葬られて静かに眠っています(三骨一廟と呼ばれています)。

聖徳太子は叔母の推古天皇の摂政として、憲法十七条や冠位十二階を制定したり、遣隋使の派遣によって大陸からの文化を取り入れ仏教を広めようとしました。そして現代の私たちが今最もとり戻さなくてはならない精神を仏教の教えの中より説いています。それは次のような内容です。

まだ日本という国の形が明確でなかった時代、聖徳太子は仏教の慈悲によって国造りをしようとしていた。聖徳太子は日本最古の経典の注釈書「三経義疏(さんぎょうぎしょ)」を記し、三つの経典を国造りの基礎とした。三経とは法華経、維摩経 (ゆいまぎょう)、勝鬘経(しょうまんぎょう)でありこれらの経典に共通しているのは、この現実世界に生きる在家の人々の生き方を説いた教えということである。この世は泥のような苦しみに満ちている。蓮は泥の中にしか根をおろさないが、泥に染まらない美しい花を咲かせる。人間も又苦しみの世の中、苦しみの泥に染まらず美しい花を咲かせる様に生きなければならない。それが仏教で言う菩薩行(悟りを求める人の行い)ということなのであるが、この国をこの様な人々で満たしたいと願っている。

私達の周りは「偽り」という言葉で満ち溢れています。そして簡単に人を欺き人をあやめ、それが平然と行われているのが現実ではないでしょうか? 私達も聖徳太子が願った様に泥の中で染まらない、美しい花を咲かせる努力を日々しなくてはいけないと思いました。

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