大阪平野郷を歩く        <辻井 博子>

 

12月初冬の暖かい日、私達は環濠集落の面影が色濃く残る、大阪市平野郷地区を訪ねた。
平野郷は戦国時代、外敵を防ぐ目的で周囲に堀をめぐらし、堺と並んで自治都市として発展した町である。
約80ヘクタールのその一帯は戦火を免れ、現在も古い町並みや神社仏閣があちこちに残っている。
平野という地名の由来は、えぞ征討で名を残した征夷大将軍、坂上田村麿の次男、広野麿がこの地の領主となり、
名前の「ひろの」が転じて「ひらの」になったと言い伝えられている。

JR平野駅を下車し駅前の大きなビルの間を通り抜け商店街を進んでいくと間もなく杭全神社に到着。杭全と書いてくいまたと読む。
ここは神社全体が鎮守の森博物館と呼ばれるだけあって、しんと静まり返った境内に銀杏や楠の大木、老木が繁っていた。
すぐ左側に「樟社」の立札が目に入る。楠は樟とも書き、防虫剤樟脳の原料になる木だ。また奥の立派な拝殿の前に青銅製の狛犬が2匹。
足にはなにやら包帯のような布切れが巻かれている。これは古くからの言い伝えで、狛犬の足に紐を結んで願を掛け、
もう一本は持ち帰り家出した人の履物に結んでおけば必ず居所がわかるか、家に帰ってくると言われ「走人足止メ」と呼ばれているそうだ。
いつの時代にも家出人や訪ね人が居て、家族の人の願いは同じなのだと感じた。

その後、平野環濠跡。民間の学問所「含翠堂」跡、大念仏寺、坂上広野麿屋敷跡、町ぐるみ博物館を見ながら、旧南海平野線の平野駅跡に着いた。
1914年から80年に廃線に至るまで、平野~今池間を結ぶチンチン電車が走っていたのだという。ここはその始発駅。
今は駅舎も無く路面にレールがデザインされ、両脇の植えこみの木がひっそりと立っている。
ここで昼食を取ったが近くの食堂の女将さんに話を聞かせてもらった。
昭和の終わり頃まで、電車を利用する人々で溢れ、街も今と違ってとても活気があったとか。
現在はもうなくなっているが、パチンコ店や映画館も数多くあり、お店の休日も1ヶ月に1回か2回で、本当に賑やかで生き生きとしていたそうだ。
今はもう、その時の風情は消えて寂しい限りだ。
帰りがけ、友人と平野名物の「平野酒饅頭」を買って帰った。

 

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